中世の栄華を偲ぶ山歩(獅子窟寺/王の墓)
昨年の同時期に歩いた交野市の獅子窟寺に再訪してきました。JR河内磐船駅から天田神社を通って獅子窟寺に向かい、その後昨年と同じようにくろんど園地へ歩き、ほしだ園地、飯盛中山、むろいけ園地、自宅まで歩きました。300m程度の低山群ですが、約20km歩くでアップダウンが多く良いトレーニングにもなりました。獅子窟寺近くに『王の墓』と呼ばれる場所がありますが、前回は手前にある『お大師さまの水』で折り返し獅子窟寺に向かったため『王の墓』には寄らずじまいでした。今回は、お大師さまの水から少し足を延ばし『王の墓』にも寄ってきました。今は少し荒れた場所になっていますが、厳かな雰囲気で歴史を感じることができる場所です。

いつものようにJR河内磐船駅から私市/森の氏神・天田神社を経由して獅子窟寺参道へ向かいます。


参道入口には、小さな地蔵尊像(1741年建立の銘あり)と「獅子窟寺」と刻まれた石碑、「従是(是より)六丁」と刻まれた丁石が立っています。参道は山腹を切り開いた山道(コンクリート舗装)で、途中に「子安地蔵尊」が祀られています。この地蔵尊は、明治時代の神仏分離に際して首から上を打ち砕かれたと言われています。地元では「安産地蔵」と呼び、臨月の妊婦が安産と出産後の母乳の出を祈ったそうです。

三丁の丁石先の小広場が『仁王門跡』があります。獅子窟寺の山門跡で、山門に立っていた仁王像2躰は、本堂内に移されています。仁王門跡を過ぎるとすぐ分岐があります。獅子窟寺本堂へはコンクリート舗装道を直進します。左に下ると『お大師さまの水』があり、前回はその場所まで探索しました。今回は、その先にあるという『王の墓』へ立ち寄ることにしました。

『お大師さまの水』は、説明板によると昭和59年に弘法大師千百五十年を記念して獅子窟寺が選定したもののようです。

『お大師さまの水』 から『王の墓』までは、思った以上に近くてあっという間にたどり着くことができました。



この付近は、見晴らしの良い場所で「百重が原」と呼ばれていたそうです。辺りには古木が多く、かって王の墓の上のシイ(椎)の大木の枝を切り落とそうとしたところ、「キイキイ」と泣き、木に触れただけで腹痛を起こしたという謂れがあります。大阪府全志には「獅子窟寺の本堂前なる亀山院の御寄附に成りしと伝ふる石磴を下り、仁王門の側より右折して細徑を進めば、二町許にして字・百重ヶ原に至る。鬱蒼せる老椎の下に拾弐坪許りの坦場あり、一段高くして前面に石垣を築き、背後は小丘を為せり。裡に二基の石塔あり、是れなん旧記に見ゆる亀山院の百重ヶ原御陵にして、里人は伝へて同院及び同皇后の御陵なりといふ。然れども亀山院は城州嵯峨亀山の上にて火葬し奉り、御骨を浄金剛院・南禅寺・金剛峯寺の三ヶ所に蔵められしといへば、名所図会の記せるが如く、車駕を廻せ給ひしとき御喜捨ありしを以て、其の報恩の為めに同天皇及び同皇后の塔を建てしものならんか」との記載があるそうです。
崩れかけた石垣の上に2基の墓石が並んでいます。亀山天皇の公式陵墓は京都右京区の天龍寺内にあると言われています。
交野市史には、「亀山上皇は疾病をお持ちであったが、熊野に参詣されたとき叔父の静仁法親王にお逢いになり、法親王が祈願されて験のあった獅子窟寺の薬師如来の話をお聞きになったので、交野の私市に行幸になり、獅子窟寺下の行在所に滞在して病の治癒を祈願されたところ、平癒された。喜ばれた上皇は、荒れていた当寺を再建し寺領を寄進された。上皇が崩御されたとき(1305)、上皇の徳を慕っていた住民たちが寺領内の百重が原を均して上皇とその后のために2基の宝塔を建てて供養した」と記載があるようです。

前回訪問時でも紹介した通り、獅子窟寺は文武天皇の頃、修験道の開祖と言われている飛鳥時代の呪術師役行者(えんのおづの)が開山。第45第天皇の聖武天皇(701年-756年)の勅命により行基が金剛般若窟の寺号で創建した(奈良時代のことです)とされるお寺で、天長年間(824 – 833年)には空海がここで修法をしていたといわれている交野でもかなり古くからある由緒あるお寺です。
本堂は、大坂夏の陣で焼失してしまい、江戸時代に再建されたそうです。本尊である国宝・薬師如来座像は、本堂右手の離れた処に建つ国宝薬師如来保存堂に納められています。

本殿の右にある『地蔵堂』は、前部に小さな地蔵像を祀る前堂が建ち、多くの小像が祀られています。
境内・本殿の右手にある巨岩は『天福岩』で、「当山境内には巨岩が数多くあります。これらの岩にはそれぞれ名前がついております。この岩は天福岩と云い、昔から災いを転じて福となすと伝えられております。お願いごとの時は、この岩を両手でしっかりと抱いて、自分の願いを一つだけ3回お唱えして下さい。そうすると諸願成就されると伝えられています」と説明されています。

獅子窟寺の周辺には巨岩が点在し、これらの巨岩は磐座(いわくら)と呼ばれるもので、神が降臨するとされた霊地とされ祀りなど神聖なものとして崇拝されていました。
獅子岩は、当地の磐座の中心となるもので、『金剛般若窟』あるいは『獅子宝窟』と呼ばれています。伝承では「弘法大師が私市の観音寺で修行されていたとき、ある夜、山の手に光明が輝いた。夜が明けて山に登り、獅子窟寺の獅子の窟で仏眼尊の秘法を修されると、大空から七曜の星(北斗七星)が、星田の高岡山にある星の森、光林寺の森、妙見山の頂きの3ヶ所に降ってきた」(星田妙見縁起)とあり、大師がこの巨岩の前で仏眼の秘法を修せられたと伝えられているそうです。


少し獅子窟寺周辺と磐座を散策した後、くろんど園地まで巨岩や石仏を見ながらゆっくりと歩きました。
獅子窟寺からくろんど園地までには、みろく岩や八丈岩など巨岩が多く、修業の場として多くの人が訪れていたようです。道は花崗岩質の山域なので風化した尾根が目立ちます。よく踏まれているので大きな危険個所はありませんが、足元には気を付けて下さい。


この日は、くろんど園地から私市CCを通ってほしだ園地に入り、その後飯盛中山の三角点を踏んで、むろいけ園地から四條畷に下りました。
