猪と狐と地獄の谷道(河内飯盛山)
河内飯盛山の古道のひとつ「地獄谷古道」…ガイドブックなどでは、「北条小学校コース」と呼ばれています。北条小学校を起点とする道は、狐追谷を経て南側の尾根を辿って杉むら峠へ通じている道と今回歩いた猪谷と地獄谷を歩く道があります。このサイトでは、今回歩いた谷筋の道を「地獄谷古道」とし、狐追谷側の尾根道を「狐追谷左岸尾根道」と記載しています。地獄谷古道は、以前山頂側から下る道として記載しましたが、今回は麓側からのルートで案内します。猪谷、狐追谷、地獄谷と三つの谷が入り組む場所です。
河内飯盛山の総合情報は、『河内飯盛山周辺登山道』をご覧下さい。
自宅から北条神社へ向かうと神社の西側(下)に大きな不動明王の石碑が見えます。大東のふるさとカルタウォークによると、『明治十六年ごろ、不動尊を信仰していた初代の横谷宗吉氏は干天がつづいて、農民らが困っているとき、雨乞いをして慈雨に恵まれ、多くの信者ができてきたので、現地に居を移し、明治三十九年八月には庭先に「役行者石碑」を建てた。昭和五十二年十月には二代横谷誠教氏は「神変大菩薩報恩菩薩宝塔」の石碑を建立。天下泰平・五穀成就・家内安全を祈願している。』ということです。

地獄谷古道への取りつきは、少しわかりにくい場所にあります。今回は、北条神社下の十字路を南側(右)へ曲がります。住宅地を進むと一見行き止まりに見える箇所がありますが、実際は階段があり下りることができます。

降り立ったところが猪谷から流れる川(水路)です。藪に覆われていますが、山側にも道があり進んでいきます。

砂防ダムを過ぎると道が分岐しています。左側の道が地獄谷古道で、右側に登る道が、狐追谷側の尾根に登る道です。

地獄谷古道は、猪谷に沿って道が続いています。猪谷は、谷としては大きく、徐々に深く切れ込む様相になってきます。

道の途中から谷に下りるトラバースの道があります。踏み跡の薄い道を辿っていくと谷が少し広くなっています。右岸に石垣で区切られた更地や石柱があり、一番奥には落差のある滝があります。滝の右手には八大龍王の碑があるとのことですが、斜面の崩落があり少し危険な状態になっています。石柱の残る場所もあり、滝壺辺りが不動尊祠跡だと言われています。北条古道の竹林地帯にある構造物の残る場所のすぐ近くにあたる場所ですが、この場所は滝行など信仰に伴う場所であったのかもしれません。



先ほどの滝左側に水の流れがあり、それが猪谷本流の最終部になるのでしょうか、滝上部から地獄谷と呼ばれているようです。それまでの険しい猪谷とは全く異なる渓相で、穏やかな谷が続きます。水の流れはほとんどなく、谷に沿って緩やかに登っていきます。


