寒波の合間に(生駒山と千光寺)
2週間前に最高のタイミングで大峰のシェークスピア演舞場を7年ぶりに再訪。次は、広大な雪原を歩きたいとタイミングを計っていましたが、相棒の一眼レフが故障したり、タイミングが合わず、体力維持のために近場を歩くことにしました。
生駒山地は、自宅から直接歩いて行くルート取りができるので、時間がある時はよく歩きます。自宅から一番近い河内飯盛山やむろいけ園地、少し足を延ばして星田連山や薬尾山、飯盛中山、時間がある時は、交野の山々や生駒山方面など。今回は、時間の余裕があったので、自宅から河内飯盛山を登り、生駒山方面へぶらぶら歩いてみました。


スタートは、河内飯盛山山麓の観察の森。大銀杏がそびえ立ち、秋には素晴らしい紅葉風景を見ることができます。観察の森から妙見谷右岸の尾根を歩き山頂へ向かいます。今回は、石切場跡にある白天龍王の石碑に立ち寄ってから登りました。

河内飯盛山に残る飯盛城址は、国史跡に認定され、三好長慶をNHKの大河ドラマにと大東市が躍起になっています。地方自治体の活性化としては理解できますが、昔からこの地は楠木正行が有名で、個人的には「三好」と言われてもピンとこないのが本音です(笑)
河内飯盛山から阪奈道路側に抜けて、生駒登山口から生駒縦走歩道を歩きます。ただ、車道歩きが続くのが難点です。

車道歩きを終え、山道に入るとすぐにくさか園地の灯篭ゲート(八丁門峠)に到着します。生駒山地は、古墳を中心に遺跡も多く、河内と大和を結ぶ道が張り巡らされています。八丁門峠を初め多くの峠があります。
生駒縦走歩道は、くさか園地を通り、なるかわ園地に通じていますが、コンクリート舗装の管理道も多く、私は鷲尾山経由で生駒山まで歩くことにしています。灯篭ゲート付近から鷲尾山への道も古くから利用されている道ですが、最近は歩かれる方も少なくやや踏み跡が薄くなっています。

鷲尾山は、寶山寺の参道、河内と大和の古道の要所だったようです。また、バブル期には別荘用地としても開発されていたようですが、現在はほとんど空き家になっていて荒廃が進んでいます。鷲尾山からは水源地の中倉さんや朝日地蔵に行くこともできます。

生駒山の一等三角点は、遊園地施設の敷地内にありわかり辛いですが、是非探してみて下さい。


暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある峠で、古くは闇峠とも記せられていたようです。江戸時代に暗峠の村に大和郡山藩の本陣が置かれていて参勤交代路になっていたそうです。また、江戸時代後期は庶民の伊勢参宮道となり、旅籠や茶屋が立ち並び賑わっていたと言われています。周辺には、多くの石碑や地蔵尊などがあります。


この日は、小雪が舞う曇りがちのお天気でしたが、思いのほか風が弱く、日差しが暖かかったので、貸し切りのぼくらの広場でゆっくり昼食を摂りました。生駒山地の山々は低山ですが、大阪(西)側に展望が開けているので、大阪方面の市街地や大阪湾を望む景色がとても綺麗です。ぼくらの広場も休日には、多くの方々が休憩されるスポットとして有名です。


鳴川峠も河内と大和を結ぶ古い道の峠です。ここには、首切地蔵と呼ばれている地蔵尊があります。室町時代の作とも言われるお地蔵さんです。今回は鳴川峠から元山上千光寺へ参詣路(鳴川峠越)を歩くことにしました。

ハイキングコースなので危険個所もなくのんびり歩くことができます。鳴川峠近くには、古い道標や石畳も残されていて古道の雰囲気を感じることもできました。また、水源地でもあったので古い施設跡もあります。

今回は時間の関係もあり、元山上千光寺には寄らず元山上駅を目指すつもりでしたが、前回立ち寄ることができなかった表行場の「鐘掛岩」に立ち寄ることにしました。「鐘掛岩」へは千光寺の総門から少し下った所に分岐があり、鳴川峠へ続く左側の道を進みます。
千光寺に関しては、「元山上と鳴川街道(生駒山)」をご覧下さい。



千光寺には、奥の院周辺の裏行場、西の覗きや平等石などの巨石が続く行場、そして鐘掛岩があります。ホットバーボンを飲んだ後なので危険を感じるようであれば、無理して登攀しないつもりでしたが、手がかりも足がかりも問題なさそうだったので登ってみました。落ち葉が堆積しているので滑りやすくなっていましたが、注意して登れば問題はありませんでした。但し、岩場歩行に慣れられていない方は、無理しないようにして下さい。裏行場の鎖場ほどではありませんが、危険な個所であることには変わりありません。
※「千光寺の裏行場(鳴川越え)」もご覧下さい。
「鐘掛岩」を探索した後は、のんびり元山上駅まで歩くことができました。鳴川街道に関しては、是非「元山上と鳴川街道(生駒山)」もご覧いただければ幸いです。



清滝石仏群(きよたきせきぶつぐん)
巨岩の壁には「八尺地蔵」と呼ばれる線刻の巨仏の他、多数の石仏が彫られている。地蔵尊は頭の部分が薄肉彫りで、銘文はないがその様式から鎌倉時代中頃の制作と考えられている。子授けの石仏として信仰されている「はらみ地蔵」や梵字による阿弥陀三尊仏、上下二段の四角い彫りこみに彫られた貝吹き地蔵の他、法螺吹き地蔵などが室町後期から江戸前期にかけて彫られている。また、対岸の巨岩にも行儀よく並んだ五尊仏が彫られている。また、横を流れる川には村に伝染病などが入らないようにと祈りを込めて、昔から「勧請縄」が掛けられ、今も毎年大晦日に掛け替えられている。(平群町観光ホームページより)




