千光寺の裏行場(鳴川越え)
近鉄元山上駅から鳴川越え(鳴川街道)を歩いた際、探索した鳴川山千光寺の行場。修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)が、金剛葛城山で修行された後、鳴川の里で修行を積み、二匹の鬼(前鬼・後鬼)を従えて二上山・葛木山・金剛山・友ケ島を経て熊野ヘ、熊野から大峯山の山頂である山上ケ嶽に登り、修行根本道場と定められたと言われています。後々、人々は役小角が大峯山を開く以前に修行したところから、この地を「元の山上(もとのさんじょう)」と呼ぶようになりました。また、小角の母(白専女)は鳴川の里に残り修行を続けられたとのことから、女人禁制の吉野大峯に対し女性の修行も受け入れたため、「女人山上」と呼ばれ、女人の修行道場として栄えたそうです。現在でも夏場に滝行体験が行われています。
今回は、裏行場と呼ばれる行者堂裏から奥の宮に続く岩場(鎖場)と表行場と言われる西の覗きなどを探索してきました。行場、特に裏行場周辺は、近年あまり人が歩いている様子がなく、分岐が非常に分かりづらく、GPSと地図を頼りに歩きました。裏行場は非常に斜面も荒れていて、一歩間違えば命に関わります。ご自分の判断で無理をせず危険だと思ったら引き返すようにして下さい。設置されている鎖やロープの中には、かなり古いものもあり、支点も信用できないものがありました。この鎖場では、鎖やロープに全体重をかけないといけない場面もあり、確認を怠らないようにして下さい。特にこのルートを下られる際は、結果オーライではなく、きちんとした安全装備で下られることをお勧めします。
裏行場は、行者堂の左奥に取付きがありました。浅い谷筋の右斜面に鎖や古いロープがかけられています。鎖場は二か所ありました。行者像のある小屋すぐ後ろの壁は、ほぼ垂直で登るには鎖に全体重をかける必要がありました。ロープもありますが、かなり古くとても信頼できる感じではありません。鎖はまだ劣化していなかったのですが、支点がどうなっているのか分からなかったので、隣の壁を登ることにしました。右隣の壁は、斜度がやや緩く足元のフリクションも良かったので鎖を補助として登りました。
最初の鎖場を登った後、急な斜面をトラバースして次の鎖場に向かいます。
二つ目の鎖場は、狭い岩の隙間に垂らされた鎖を頼りに登ります。ここもステップ幅が合わず、鎖を頼りに強引に登る必要がありました。鎖の支点が見えないので不安がありましたが、何とか登ることができました。
登り終えてから分かったことですが、最初に登った鎖場の右側に巻き道があったのかもしれません!?
裏行場とされているのは、この辺りから千光寺行者堂までを指すのだと思います。裏行場から先は、一般的な尾根道が続きます。踏み跡が薄く、枝道もあるので、地形図やGPSで自分の位置を確認しながら歩く方が良いと思います。
西の覗き、平等岩、鐘掛岩という名称は、行場と言われる場所で多く見ることができます。この千光寺の行場にも、西の覗きがありました。よく登る大峯山上ヶ岳の西の覗きに比べるとスケールは比べものになりませんが、鎖を持たず先端まで行くのは勇気がいります。
西の覗きから鳴川越え(鳴川街道)へ向かう途中には、表行場がいくつかあります。
この日は、鐘掛岩や不動の滝といった表行場をすべて回ることができませんでしたが、大峰より以前に修業が行われていた場所を探索できて満足の一日でした。行場を探索した後、鳴川峠を経て、新石切駅まで歩いて下山しました。