生駒の古道と鷲尾山(生駒山)
年に何回か歩く生駒山ですが、自宅から見える山頂北側の電波塔群のあるピークが、ずっと気になっていました。地形図をよく見ると破線が電波塔周辺まで記載があります。ネットで色々調べてみると河内(大阪)と大和(奈良)を結ぶ多くの古道があったようです。前回歩いた「八丁門峠越え」の古道を復元した生駒山麓公園コースの他にも、石切駅近くの爪切地蔵から続く「辻子越え」があります。この古道は、西の聖天さんと呼ばれる興法寺を経て、東の聖天さん生駒山寶山寺への信仰の道だったと言われています。それらの道が鷲尾山を通っていたようです。山頂にある『商人の足音高し鷲尾越 今も語るう お茶屋跡』と記せられた木製立札にも当時の風情が読み取れます。

今回も自宅からスタートしました。今までは、寶山寺へ向かうのに生駒山縦走歩道を歩いていましたが、気になっていたピークを踏むために破線ルートを歩くことにしました。2021年初めての山歩きそして初詣を兼ねてなので、野崎観音に立ち寄って生駒山寶山寺を目指すことにしました。お天気も良かったので、野崎観音ものんびり散策できました。
野崎観音から野崎城址を経て、南尾根コースで大東市立野外活動センターへ向かいました。

南尾根コースは、よく整備され歩きやすいハイキングコースです。

キャンピィだいとうから阪奈道路にある生駒山登山口までは、学校関係のグラウンドや廃材処理場や資材置き場などが並ぶ車道歩きです。途中から権現川コースへ抜けて、むろいけ園地から生駒山縦走歩道を経由することもできます。

阪奈道路の生駒山登山口から下の写真までも、産業廃棄物処理や建築資材処理場が隣接する車道歩きになります。


くさか園地の灯篭ゲートは、古くは八丁門峠と言われる古道の要所だったようです。生駒山麓公園を抜けて生駒山寶山寺まで古道が通っていました。現在もその古道を整備してハイキングコースとして親しまれています。

今回の目的の一つである鷲尾山への道を辿るため生駒山縦走歩道を離れ、鷲尾山へ続く尾根を辿ってみました。



地形図に破線があり、一部踏み跡が薄くルートがわかり辛い箇所がありましたが、テープ類もあり迷うことなく歩くことができました。一部低木や笹薮に覆われたところもあるので、夏場など草木が生い茂る季節は歩き辛いかもしれません。
麓から見えていた生駒山北端のピークに建つ電波塔が目の前に現れると尾根道は終了です。

電波塔は、FM COCOLOが設置しているようです。この鉄塔から三角点のある場所へは、管理道から一旦山道へ入る必要があります。少し踏み跡が薄いためわかり辛い箇所がありますが、地形図などで方向を確かめれば見つかる筈です。


鷲尾山から生駒山山頂までは、電波塔管理や廃別荘への舗装道歩きになります。
以下、現地説明板『経塚の記』より
生駒山宝山寺中興開山湛海律師は、大般若波羅密多経の広大無辺なる功徳を顕彰するために、経塚の建立を発願され、安永5年(1776)第6世光善和尚の代に一石一字の般若経を納められたのが、この大経塚です。
然るに、何時しかこの経塚も荒廃に帰し、第16世慧證和尚は深くこれを嘆いて経塚再興を発願、昭和7年8月、願成就の大供養会が開かれました。降って、昭和53年7月、第18世実道和尚がお堂を建立する等、現在の姿に整備しました。
経塚中央には教主釈迦如来の石像を安じ、周囲には十六善神を奉祀しています。この十六善神は常に仏法を守護し、衆生を悪より善に、不幸より幸福へ導いて下さるのです。唐の玄奨三蔵法師が修行のため天竺(インド)へ旅をされた際に、この善神が常に法師を護られたので、無事目的を達する事が出来ました。
この所縁により、特に交通安全、諸病平癒、除災開運の効験が顕著な塚とされています。
ご祈願の修法
灯明を点じ、妙香を薫ず
般若心経 一巻
南無十六善神 七遍
南無釈迦無尼仏 七遍
平成五年六月 大本山生駒山 宝山寺


