幸せを招く早春花(ポンポン山)
明神平の霧氷、武奈ヶ岳、綿向山の雪景色、そして7年ぶりの大峰シェークスピ演舞場の氷瀑と広大な雪原風景を堪能した霊仙山。今冬は、各地の積雪量が非常に多く、気温も低い日が続いたので、例年以上に冬の山を楽しむことができました。この日も残雪がたっぷり残る伊吹山へ行く計画を立てていましたが、前週の霊仙山で満足してしまったのか?いまいち気合が乗らず、スタートが遅くなってしまい近場のポンポン山へ行ってきました(笑)
ポンポン山は、昨年初めて歩きました。大原野森林公園のフクジュソウ保護地域が近くにあり、いち早く早春を感じることができる山域です。人の手が入った保護地域なので、個人的にはあまり興味はないのですが、自宅からもアクセスが気軽に歩くことができます。ちなみにフクジュソウは、今月下旬に鈴鹿方面を訪問する予定です。
近年のコロナ禍、そしてロシアによるウクライナ侵攻という人として信じられない残虐な暴挙…人間の愚かな行動が自然を脅かし、人間同士が傷つけ合う、そんな世の中にもきっと春は訪れる・・と信じたい。どんな厳しい冬でも、自然は「春」をちゃんと用意してくれています。小さな花ですが、春を告げ幸せを招く早春の花を見て、少しは心が安らいだかもしれません。

昨年きた時には、本山寺の駐車場は参拝者用として無料開放されていました。ただ参拝者用ということで、登山者が駐車していいものか迷いながら停めさせていただきました。今回、その駐車場は有料となっていて、その費用は、参拝道などの整備などに使われると書かれていました。登山者にとっては、とてもありがたい処置だと思います。



駐車場を出た所には「八丁」の丁石が立ち、地蔵尊が祀られています。また、ちょうどその場所には新しい山門が造られている最中でした。駐車場から本山寺までは、東海自然歩道(車道)を歩きます。本山寺は、江戸時代には商売繁盛を願う大阪商人からの信仰を集め、西国街道や淀川三十石船の河港であった前島浜から本山寺へと導く道標や丁石が残されています。
文武天皇元年(697)に役小角(えん の おづの=役行者)がこの地を訪れ、松の木に衣を掛けて休憩された場所とされる「行者衣掛けの松」があります。古くから葛城山や大峯山を遥拝する場所で、ここから上の坂は「あづき坂」と呼ばれ、良恵上人終生念仏の旧跡とされています。
平安時代後期、摂津の役人橘輔元(たちばなのすけもと)は、本山寺の毘沙門天に深く帰依して本山寺を再建し、良忍上人を師と仰いで剃髪し、輔元は良恵、その子は忍恵と号しました。「現櫓塚」は良恵が結んだ草庵の跡で、融通念仏を修したとされています。



勧請掛の綱は神社拝殿や正月の門飾りの注連縄と同じ三本撚りで、神仏混淆の跡が見えます。掛け物の数が12本であるのは、薬師如来の12神将を示していると言われています。また、竹冊と縄にて表される格子状の形は、ドーマンと言われる魔除け、厄除けで、最下にある十字に重ねた樒の束は、薬師如来の衆生の病苦を救い、無明の病疫を癒す12の大誓願を示しているそうです。


ポンポン山方面へは、本山寺を抜けて裏から山道へ入ることもできますが、一般的には道なりに山門をくぐって先に進みます。道はよく整備されていて危険な個所はありませんが、「クマ注意」の貼り紙をよく目にします。この山域では、登山道などでもクマの目撃情報があるようで、注意喚起されているようです。出会った時の注意点も書かれているので、念のため読んでおくようにしましょう。
この日は、天気予報通り曇りがちで山頂からの眺望もイマイチだったので、取りあえず山頂はスルーしてフクジュソウの保護地域に向かうことにしました。下山後分かったことですが、偶然にも下の写真にFBでの山友が写っていました(笑)

ポンポン山からフクジュソウの保護地域まで東海自然歩道を離れて西尾根を歩きますが、こちらもよく整備された道で危険個所はありません。途中、リョウブの丘と呼ばれる場所があり、多くの人が休憩されていました。

大原野森林公園の保護地域は、立ち入り制限や防鹿ネットのパッチディフェンス等を施設して、植生の保護を行っています。毎年、2月後半からフクジュソウやネコノメソウが斜面に咲き始めます。昨年は、2月下旬に訪れていますが、フクジュソウは花期が長いので、3月中旬までは見頃が続きます。


フクジュソウ(福寿草、献歳菊、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草です。典型的なスプリング・エフェメラルで春を告げる花の代表です。そのため、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)と呼ばれることもあります。福寿草という和名もまた新春を祝う意味があり、縁起物の植物として古くから栽培されてきたそうです。

釈迦岳は標高631.4m、島本町で一番高い山です。11世紀に善峯寺を開いた源算上人が自ら彫ったと伝わる石仏が、かつて釈迦岳の山頂に置かれていたため、釈迦岳と呼ばれていたといいます。石仏は明治13(1880)年に善峯寺に移されました。また、三等三角点(善峰、標高:630.99m)が設置されています。

本山寺(ほんざんじ)は、大阪府高槻市原にある天台宗の寺院で、本尊は毘沙門天。鞍馬寺、朝護孫子寺とともに「日本三毘沙門天」とも言われています。役小角が葛城山で修行中に北西に紫雲のたなびくのを見て霊験を感じ、北摂の山に来て自ら毘沙門天像を彫り、堂を建てて修験の道場として開山したのが始まりと寺伝に記せられています。その後、宝亀年間(770年頃)に光仁天皇の子・開成皇子が諸堂宇を建立して本格的な仏教寺院として創建したとされ、北摂三山寺として、根本山と号する神峯山寺、南山と号する安岡寺とともに北山と号して天台宗に属しています。『ウィキペディア(Wikipedia)』参照



