五瀬の命が汲み給ひし霊泉(生駒山)
年に何回か歩く生駒山ですが、生駒縦走歩道で山頂や寶山寺へ行くことがほとんどで、なかなか古の道を歩くにいたっていません。生駒山地も河内の国と大和の国を結ぶ商用、山岳信仰、伊勢参りや寶山寺参りなど多くの峠道があったそうです。最近、梅雨の長雨が続き、なかなかゆっくりと山歩きができないので、この日は自宅から歩ける生駒山に出かけました。梅雨が明けると一気に真夏の暑さとの戦いが待っているので、今回は発汗トレーニングを兼ねて高温多湿の低山歩きに出陣です(笑)

いつものように自宅から北條神社ルート(三好道)で河内飯盛山山頂へ登り、阪奈道路沿いの生駒山登山口から生駒縦走歩道で生駒山山頂へ。自宅へピストンで折り返す予定でぬかた園地のアジサイ園に立ち寄りました。くさか園地こぶしの谷で昼食をとった後、灯籠ゲートで気になっていた日下直越と善根寺越との分岐から龍の口霊泉を探索しようと予定変更しました。



くさか園地の灯篭ゲートは、古くから「八丁門峠」と呼ばれ、寶山寺古参道の八丁門峠越の起点でした。峠には、東田原(奈良) の村人だった八右ヱ門さんの店があったそうで、いつの間にか名前が訛って八丁門峠と呼ばれるようになったといわれています。八丁門峠付近では、古堤街道(南ルート) (現在、阪奈カントリークラブ内)と日下直越、善根寺越と呼ばれる東大阪日下からの道が合流しています。現在では、生駒縦走歩道、くさか園地の管理道などが交わる要所となっています。尚、 寶山寺古参道・八丁門峠越の道は、昭和54年に奈良県観光課が遊歩道として復元しています。

灯籠ゲートから龍の口霊泉へ道標に従って道を進みます。道は舗装はされていませんが、農道、林道の類で途中までは車が通れるほど整備された道でした。日下直越と善根寺越の道は、数か所でつながっているようで分岐がありました。

『龍の口霊泉』は、五瀬命(いつせのみこと)が弟たちとともに東征に従軍し、日下之直越道を越えて大和に攻め入ろうとした時、流れ矢を受けて負傷した肘の傷を洗った場所とされています。「五瀬の命が汲み給ひし霊泉と言ひ伝へらる」と石碑に記されています。


大阪府で唯一濁酒製造の免許を持つ「善根寺春日神社」の御神酒造り神事では、この水を汲んでいるということです。

龍の口霊泉から東大阪の日下方面に向かいますが、途中、阪奈道路下り線を2度横断しなくてはいけません。特に上部の横断箇所は、カーブの出口で下ってくる車が直前まで見えません。ご存じの方も多いと思いますが、阪奈道路の下り線は交通量も多く、かなりのスピードを出して走っているので横断は命がけになります。もし行かれる際には、十分注意して渡るようにして下さい。



和気清麻呂(わけのきよまろ)が創祀した神社が「善根寺八幡宮」だと言われています。その昔、怪僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と争い、流罪地へ向かう途中「暗峠」で道鏡から暗殺されかけましたが、突然はげしい雷雨がおこり難を逃れ、イノシシに守られて九州の宇佐八幡宮に逃げたとされています。その後、八幡さまに感謝して善根寺に「八幡宮」を創祀し、以来、子孫は足立氏と称してこの土地を治めてきたそうです。
善根寺八幡宮から道を進めると阪奈道路をもう一度横断することになります。注意して横断すると道は住宅地に入り程なく「善根寺春日神社」に到着します。
神護景雲2年(768)、現在の東大阪市にある枚岡神社の分霊が、奈良の春日大社へ遷座された。遷座の縁で春日大社から当地へ武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神の分霊が勧請され、これが当社の誕生となった。現在は神武天皇も含め13柱が祭神とされる。大阪府で唯一濁酒製造の免許があり、御神酒造り神事が行われる。これは王代津祭(おだいつまつり)(神武天皇が東征の折に当地の国人に酒餅を賜ったのを記念し、本来は旧暦4月15日に開催された)でお供えする御神酒を醸造する神事である。
春日神社敬神会が中心となり、還暦を迎えた男性を加えて、来年に還暦を控える男性など例年65~80名が参加する。醸造方法は奈良の酒造元が改良し、参加資格も古式から変えられたが、山中にある湧水地「龍の口」で水汲み、伝統ある神事を、敬神会によって引き継でおります。神事は10月1日の水汲みに始まり、蒸米、米麹、水(龍の口の浄水)、乳酸、酵母を原材料に、朝夕2回の攪拌作業を経て醸され、14日の蔵出しには例年500㍑余りの御神酒が完成し、還暦を迎えた宮座を祝う神事のあと、参拝者にふるまわれる。今でもゆかりの枚岡神社には届けています。(同神社のホームページから抜粋)

