寶山寺「経塚」旧参道(生駒山)
万葉の時代から河内の国と大和の国を人々が行き来していたと言われています。そんな古道のひとつに「辻子谷越」があります。現在の東大阪市石切から辻子谷(ずしだに)を歩き、生駒山上にある寶山寺経塚から寶山寺へ通じている道です。大和と河内の国境に横たわる生駒山の峠道のなかでは一番高い所(575m)を通過する難所道とされていました。現在、生駒山山頂から寶山寺へは、ハイキング道が整備されています。地形図には、寶山寺経塚からの参道が記載されていますが、昭和時代の水害で斜面が崩落し、それ以降ほぼ廃道化していたそうです。人の往来が多かった昔は、ヤスンバと呼ばれる茶屋が数件あったようです。近年、荒れていた道を整備されたということで、今回は寶山寺経塚から道を辿ってみました。

いつものように自宅から河内飯盛山に登り、生駒縦走歩道で生駒山まで歩きました。
寶山寺経塚は生駒山上遊園地の下にある駐車場の北側に隣接しています。

寶山寺経塚は、河内と大和(奈良)を結ぶ峠道(辻子谷越、鷲尾越)が通っていた場所です。ここから山腹にある寶山寺へ参道が続いていました。江戸時代に栄えた寶山寺の経塚で参道には茶店もあり、多くの人の往来があったと言われています。


寶山寺経塚からは、二十七丁の石柱付近から道が続きますが、沢沿いに進む道と左手の尾根を進む道(本道?)があるようです。今回は、丁石がある旧参道と言われている沢沿いの道を辿ってみました。沢は水の流れはほとんどなく歩くことに問題はありません。

薄いですが踏み跡もあり、赤テープが多く見られました。何度か沢を渡渉する箇所がありますが、歩行に問題はありません。途中、排水路やコンクリート壁などの構造物を確認することができます。やや急な斜面を歩く個所もありますが危険というほどではありませんでした。

三十丁の石柱から三十二丁の石柱の区間には、参道の石畳やヤスンバと呼ばれる茶屋の石垣跡が散見されます。昭和の水害で道が通行できなくなった区間がこの区間だということなので、その後よく整備していただいたんだと思われます。

三十二丁の石柱を確認すると間もなくハイキング道に合流します。





この日は、寶山寺に行く前に以前から気になっていた「岩谷の瀧」に立ち寄ってみました。大聖院は、かつては唐招提寺の修行場として創建され、現在でも多くの方が滝行をされています。生駒山に多く見られる八大龍王信仰、役行者や弘法大師影響が強いと言われ続けてきた神聖な場所でもあるそうです。

「岩谷の瀧 大聖院」に立ち寄った後、生駒山寶山寺へ向かい、近鉄生駒駅へ下山しました。

