龍伝説を辿り北山(中葛城山)
龍にまつわる伝説、伝承は、色々な形で各地に言い伝えられてきました。その中で、『雨を降らせて殺された龍』にまつわるものも数多く残されています。奈良県五條市にも龍伝説が残っていて、草谷寺から北山(中葛城山)へ続く登山道で辿ることができます。2013年に初めてこのルートを登りましたが、今回は夕方自宅で用事があるため、金剛山山頂へは行かず、久留野道で下山しました。
≪龍のお寺の伝説≫
『金剛山の南麓、北山村には、昔、大龍がすんでいて、村を荒らしまわった。或日、一人の修験者が、龍を退治しようとして、祈りをはじめた。一天にわかにかき曇って、あらわれ出た大龍は、今にも修験者に飛びつこうとすると、修験者は、手に持った数珠を振り上げて、ハッシと投げつけた。龍は忽ち天へ逃げ上がろうとしたが、身が三つに切れて、ぱたりと地上におちた。村人はよろこんだが、龍の祟りをおそれて、龍の頭の落ちた所に龍頭寺、胸の落ちたところに龍胸寺、尾の落ちた所に龍尾寺と、三つのお寺を建立して、龍を厚くとむらったと云う。今は寺のあとかたもないが、修験者の祈祷した場所を法願田と云い、龍の胸の落ちた所を胸が段と云っている。又、三つの寺の佛像は、今でも国宝として、北山村の草谷寺に残っている。』
数年前に初めてこのルートを辿った時の薄っすらした記憶を頼りに、5万人の森公園駐車場に車を止めて草谷寺へ向かいました。
公園の向かいに散策路があり草谷寺方面へ抜けることができます。但し、足元も見えないくらいの藪に覆われていて、とんでもない藪漕ぎを強いられてしまいました。冬から春にかけて藪は枯れると思いますが、今のままでは通行はお勧めできません。
五條市の山あいに立つ草谷寺は、前述の龍伝説で切り裂かれた龍の頭、胸(胴)、尾を弔ったお寺(龍頭寺、龍胴寺、龍尾寺)をこの草谷寺に併合したとされています。本尊は、薬師如来坐像(平安時代後期)で脇侍は日光・月光両菩薩立像、ほかに聖観音立像・不動明王坐像・薬師如来立像・十二神将像・不動明王立像・大日如来坐像・弘法大師坐像・地蔵菩薩立像・役行者像・愛染明王像などが安置されています。この草谷寺には、裏山に経文塚と龍尾塚があり、龍伝説を辿るスタート地点となっています。
草谷寺の裏山に経文塚と共に龍尾塚があります。その石碑は、昭和丙午(昭和41年)建立のものです。
草谷寺を後にして、龍伝説を辿るため北山(中葛城山)への登山口に向かいます。
奈良の山並みがよく見える車道を歩くと車道から山へ入るための側道があり、ここが北山(中葛城山)への登山口になります。
棚田から先は、山道になります。道は明瞭で危険な個所はありません。昔は、旧草谷寺や高天岸野神社への参道だったのかもしれませんが、参道にしては道幅も狭く、多くの人が訪れた面影はありませんでした。
下の写真の分岐は先で合流しますが、旧草谷寺跡や龍頭塚に立ち寄るには、左の道を辿るほうが良いと思います。
旧草谷寺跡近くには、龍頭塚があります。龍伝説の龍頭寺がこの地ではないかと思われます。後に、現在の草谷寺に仏像などが移設されたそうです。後述する高天岸野神社は、草谷寺の奥の宮だったのではないかと言われています。
高天岸野神社は、標高約800mの北山(中葛城山)山腹の谷間にあります。地元では弁天社として認識されており、古書には岸野弁財天という記述もあるようです。祭神については江戸時代初期には市杵島姫命とされていますが、創建年代、沿革については不明。また岸野山草谷寺(高野山真言宗)の奥の宮ともされています。神紋は「下り藤」で、背後の崖には大きい岩が頭を出し、山はそそり立っています。催事以外には人の往来は少ないようで、山中にひっそりと鎮座してとても神秘的な空間です。
高天岸野神社に立ち寄ったと分岐点に戻り、次の目的地「龍胴塚」に向かいました。このルートは、全体的に道は明瞭で危険個所は多くありません。ただ唯一一か所、高天岸野神社のある浅い谷の上部をトラバースする区間が、崩落や倒木で道が喪失しています。谷間のため湿気が多く、斜面が崩れやすくなっています。また、落葉や凍結時は足元に注意が必要です。
危険なトラバース区間を過ぎると左側が開けてきて日差しが入り込むようになります。それまでの植林から落葉広葉樹が混ざり、落葉した黄葉が絨毯のように敷き詰められ、美しい景色を見せてくれました。
再び植林地に入ると傾斜は緩やかになり開けた感じのする場所に出ます。植林がなければかなり広大な場所です。龍胴塚は、この開けた植林地の中にあります。龍胴寺があったとすれば、この辺りだったのではないでしょうか?
龍尾塚(草谷寺)、旧草谷寺跡、龍頭塚、高天岸野神社、龍胴塚と辿り終えた後、北山(中葛城山)の三角点を確認に向かいました。このルートも久留野道への道や高天岸野神社への道、杣道など枝道が多くあります。写真にもある道標は、的確な概念図を示してくれていますが、地図やGPSで確認しながら歩くことを忘れないようにして下さい。
中葛城山(なかかつらぎさん)は、金剛山の南に位置する標高937.7mの山で、山頂には三等三角点(北山)が設置されています。ダイトレにある中葛城山の案内板は、三角点より高い位置にありますが、山頂を踏む登山者はあまり多くありません。
この日も主たる目的だった五條市の龍伝説を辿ることができました。地元四條畷には、大干ばつの際、行基が滝のそばで法華八講を行うと空から若い竜が降りて来て、この干ばつは人間の欲の深さを懲らしめるために大竜王が引き起こしたことを話したそうです。自分は行基の仏恩に報いるべく雨を降らせるが、それによって自分は大竜王の罰を受けて殺されるだろうことを話した。間もなく空が雲に覆われて雨が降り出し、田畑は潤って人々は救われた。雨がやんだ頃、空から、あの若い竜の亡骸が三つに裂かれて落ちてきて、人々は竜を弔うため、頭の落ちたところに龍頭寺(龍光寺)、腹の落ちたところに龍腹寺(龍間寺)、尾の落ちたところに龍尾寺を建てたと言われています。中国にも似通った伝説があるらしいので、ルーツは仏教に因むものかもしれませんね。