河内飯盛山/中道の枝道
◎河内飯盛山
飯盛山(いいもりやま)は、大阪府大東市と四條畷市にまたがる北部生駒山地の山です。大阪府山岳連盟が2002年に発刊した「大阪50山(おおさか50せん)」では、『河内飯盛山』と表記されています。標高は314.3mで山頂部には飯盛城の曲輪跡や石垣跡が今も多く残っています。また、山頂部には南北朝時代の四條畷の戦いで戦死した楠木正行の銅像が建っており、戦国時代の三好長慶の居城としても有名です。河内飯盛山の詳細な情報に関しては、『河内飯盛山周辺登山道』をご覧ください。
◎中道から派生する道
里山は昔から人との関わりが多く、村と村を結ぶ街道や林業など作業用の道、狩猟のために踏まれた道、山城の曲輪をつなぐ道、戦略的に造られた道等々。それらの道も自然の摂理で崩壊したり、時代とともに使われなくなったり様々です。河内飯盛山も例外ではなく、現在利用されているハイキング、登山道以外にも昔多くの人が歩いたであろう道が存在しています。
今回紹介する道は、北尾根の中腹を通る中道から派生する二つの道です。

最初に紹介する道は、上記地形図に描いた青い点線の中道から新登山道(北尾根)へ通じている道です。四條畷神社から御机神社への道から中道に入り数分の所に分岐があります。中道を歩かれる人も滅多に入り込むことは無い道のようですが、歩いてみると道幅は少し狭いですが、踏み跡のしっかりした道が新登山道まで続いていました。新登山道で急勾配の階段が続く最初のピークに合流しているので、新登山道の急登を巻く道だったのかもしれません。ただ、斜面を九十九折れしながらトラバースする狭い道なので、大勢で歩く道ではないと言えます。今回は、滅多に立ち寄らない稲荷神社から道を辿りました。



















中道に端を発するもう一つの枝道は、元々地形図上では破線で描かれている道です(前述の地形図下に描いた青い点線)。新登山道から旧登山道へ通じている道ですが、両端の取り付きがわからず今まで確認できないままでした。中道を歩いていた時に、薄い踏み跡らしい箇所を見つけたので進入してみました。














前述した枝道は、踏み跡もシッカリ残っていて道として全く問題ない道でした。後述した枝道は、尾根としては明瞭ですが、道としては踏み跡も薄く、一部笹薮に覆われていました。また、新登山道への短い登りは道としては廃道に近いものです。
バリエーションルートを辿る注意点としては、下記のことを念頭にして歩きましょう。
- 獣道や廃道化している道は、人が歩くことで踏み嵐に起因する崩落につながったり、植生を乱す要因になるので歩かない
- 私有地も多く、立入禁止などの表示がある場合は、勝手に立ち入らない(登山は山主さんの厚意があって成り立ってます)
- 崩落地や補修地などは、人が踏むことで補修効果を阻害したり自然治癒作用を遅らせてしまうので立ち入らない
