南尾根から六道輪廻(河内飯盛山)
低山では、丘のような場所や尾根途中のコブのような箇所でも山名が付けられていることがあります。歴史的な謂れがあったり、その土地の背景があったりすることが多いのですが、中には名前が付けられた経緯や由来、歴史的背景が明確でないものも多くあります。最近では、ヤマレコなどの情報サイトでも地図に登録されるケースが増えていますが、地域的、歴史的な背景の明白でないものは簡単に登録すべきではないと思いますが、これも時代の流れなのでしょうか?
自宅から目の前にそびえる河内飯盛山を昨年からよく歩くようになり、昔から歩かれていた古道や関電道などのバリエーションも多く歩いています。それでもまだ歩いていない道があります。今回歩いた道は、関電道(関電巡視路)で昔からあった道ですが、最近途中のピークが『六道輪廻ヶ岳』と呼ばれているということで確認しに行ってきました。
河内飯盛山周辺は、登山というより日々のウォーキングで歩いています。距離6~10km程度で時間にして1~2時間前後のウォーキングですが、体力保持には良い感じです。この日は、よく歩く南尾根コースで桜池まで歩き、関電道で権現川ハイキングコースへ向かいました。自宅から野崎方面に歩き、野崎城址近くから南尾根コースに入ります。
注)2021年6月現在 鷲尾山展望台周辺で斜面崩落があったとの情報があります。登山道への影響が定かではありませんが、歩かれる方は状況をよく確認して、危険がある場合は引き返すようにして下さい。

南尾根コースは、森林セラピーロードの認定を目指している道で、コナラなど自然林の尾根道です。整備が行き届いていて、緑も豊かで老若男女問わず、安全に歩けるコースです。個人的には、新緑の季節に歩くのが好きです。

生駒山地の山々は、昔から石切場が多くあったようです。大阪城の石垣に多くの医師が切り出され運ばれたことでも有名です。東高野街道の野崎にある専應寺(せんのうじ)を陣屋としていた京極丹後守高知(1572-1622)は、元和の大坂城築城普請で、野崎の山麓の石を切り出し、大坂城へ舟で運んだとされ、陣屋のお礼に当寺の太子堂回りの石垣と階段を積み、感謝の印として手水鉢を寄進したと言われています。その京極氏が石を切り出していた場所が南尾根コース途中にあります。

キャンピィだいとう近くの桜池から東へ向かう道の途中から関電道を辿って歩きます。道は踏み跡も明瞭で歩きやすい道です。また、登り始めから鉄塔までは、少し急ですが短い距離なので問題ありません。


鉄塔から東方向へ道が続いているので進みます。やや踏み跡が薄くなりますが問題はないと思います。


このピーク…山と呼ぶには非常に違和感を感じるのですが、いつ付けられたのか「六道輪廻」というプレートがありました。ヤマレコなどでは、このピークを「六道輪廻ヶ岳」としていますが由来等は分かりません。別に「鷲尾山展望台」というプレートもあります。個人的には、由来の分からない勝手につけられたネーミングは好きではありません。






このルートの権現川への下りは、かなり急勾配です。落ち葉が堆積していて滑りやすいので注意して下さい。

里山にも花の季節がやってきました。この山域でよく見られるウラシマソウもたくさん咲き始めています。
