里山彩る照紅葉(河内飯盛山)
10月27日に兵庫県の氷ノ山へ紅葉風景を見に行ってから1か月以上経った12月4日、近畿の山々の紅葉もほぼ色あせてきた頃、里山では照紅葉(てりもみじ)の輝きを見ることができました。照紅葉とは、秋の日に照りかがやいている紅葉のことで、秋晴れの日差しに輝く紅葉を形容しているようです。河内飯盛山の周辺にも隠れた紅葉スポットがありますが、今回は四條畷神社からスタートして、御机神社、龍伝説の残る「龍尾寺」からむろいけ園地、河内飯盛山、観察の森(銀杏広場)と歩いてきました。

四條畷神社は、南北朝時代、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行(まさつら)とその一族の将士24人を祀る神社で、明治23年(1890)に創建されました。正行は、大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」として、いまも多くの人に慕われる「忠孝両全」の名将です。神社の東側にある飯盛山は、古来戦いの要の地でしたが、今は緑豊かな静寂をたたえます。山頂には正行の銅像があり、境内には桜や楓が多くあり、季節の彩をそえます。(大阪観光局公式サイトOSAKA INFOより)
「当社は延喜式神名帳(905~927年)に載る古社で、起源は、奈良時代に鎮座されていたものと推測される。永禄三年(1560年)三好長慶が飯盛山に居城した頃には飯盛城鎮護の神として崇敬も厚かった。御机神社古案内文には『・・・古くは現在地の東方字宮地に有ったが、文禄年間(1592~1596年)に字城の堂山に移し更に元禄十三年(1700年)にこの地に移転したものである』と記されている。現在の社殿は明治十四年に建て替えられたものである。」(御机神社/境内看板より)
龍尾寺は、今からおよそ1300年前の奈良時代中期に、行基菩薩によって建立されたのが、創始であると伝えられています。元々は真言宗に属する寺院だったそうですが、その後戦国時代に飯盛城主三好長慶の菩提寺となり、曹洞宗に転じたということです。聖観世音菩薩を本尊としており、現在の本堂は、平成8年(1996年)に建て替えられたのだそうです。

【龍尾寺の伝説】奈良時代の有名なお坊さまに行基という方がいらっしゃいます。諸国を巡って稲作のための溜池をつくったことで知られる高僧です。ある夏のこと。当地では日照りが続き、村をあげて雨乞いしても一塊の雲も呼ぶことができませんでした。そこへ通りがかった行基は里人を救おうと立ち上がり、「雨降らせたまえ」とお経を唱えながら一心不乱に龍王に祈りました。そうしたらあら不思議、一天にわかにかき曇り、たちまち大粒の雨が大地に降りそそぎ始めたのです。恵みの雨があがって山のかなたを見晴らした里人は、頭と胴と尾の三つにちぎれて木にかかっている龍を見いだしたのでした。龍はわが身を裂いてまで民衆の苦しみを救ったのでしょうか。人々は龍の頭の落ちたところに龍光寺、胴体のところに龍間寺、尾のところに龍尾寺を建て、龍王の霊を弔いました。大東市の龍間にある龍光寺と龍間寺、当市の権現滝・室池への入口、標高70メートルのところにある起雲山龍尾寺は、こんないわれを持つ古いお寺です。(境内の看板より)
むろいけ園地は、生駒山中のスポーツ・宿泊・研修施設である「緑の文化園」に隣接し、落ち着いたたたずまいの室池を中心に、2つの散策道「ファミリートレイル」と「ネイチャートレイル」があります。湿性植物の観察や野鳥の観察も楽しめます。
大阪信愛女学院が中心となって活動している「NPO 生駒いいもり里山サポーターズ」の拠点となっているのが、河内飯盛山の西側山麓にある「(大阪信愛女学院)観察の森」です。妙見谷の大きな堰提周辺は、緑豊かでよく整備され、また大東市街地から大阪湾を望むことができる展望地でもあります。銀杏広場には、大銀杏がそびえ立ち、素晴らしい紅葉、特に夕日を浴びる時間帯は絶景です。
