水越川水争いと県境尾根(金剛山)
以前にもご紹介した農業用水をめぐる大和と河内の戦いが、元禄期(江戸時代)に入って一層激化し、元禄14年(1701年)京都所司代にて下記のような判決が言い渡されたそうです。
- 水越峠の水は古来大和が使っていたから水は全て大和のもの
- 湧出ヶ岳までは尾根筋
- 湧出ヶ岳→葛木神社前の参道にある福石→今の葛木神社の左後ろの高みの宝篋印塔(現在は福石の隣りに移設)→阿弥陀ヶ嶽(1125mの最高点葛木岳)
- 阿弥陀ヶ嶽→尾根続きで大日ヶ嶽(大日岳)→がんどが木場(太尾塞跡)→尾根筋で越口→尾根筋で水越峠から篠峰(葛城山)
この時に決められた国境と現在の大阪府、奈良県の府県境とは異なり、ちはや園地北側にある大阪府最高点(1056m)と六道の辻南側の間で西へ大きく湾曲しています。何故、判決の国境と異なることになったのかは定かではないとのことです。

今回歩いた県境尾根は、7~8年前に地形図の破線を辿り、廃林道終点から太尾塞跡へ登った(西尾根)のが最初でした。当時は現在のような登り口があったわけではなく、廃林道以外は道らしい道はありませんでした。今回は、下山時に太尾塞跡近くにあった道標を頼りに府県境を辿る道を下りました。かなり古い朽ちたテープの他、まだ新しいプラスチック製の道標とテープがいたるところにあり、踏み跡が明瞭な道が続いていました。元々林業が盛んに行われる地区で、登山者が歩く道ではなかった筈ですが・・


県境尾根は、太尾尾根突端太尾塞跡から北北東へ延びる尾根です。山頂からは、先ずは大日岳を目指すことになります。
大日岳を後にして向かうのは、六道の辻。「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(阿修羅)道・人道(人間)・天道の六種の冥界を言います。人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生すると考えられています。 この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境界が六道の辻とされ、冥界への入口とも信じられてきたそうです。その他の意味合いとして、道が多方向に分岐している場所を指していることもあるようです。

六道の辻からは、太尾尾根を太尾塞跡へ向けて下っていきます。


太尾塞跡周辺は、昔から金剛山の中でも林業が盛んな山域のようです。ガンドガコバ林道、越口から続く廃林道が通り、「かんとけ木場」と呼ばれた木場(切り出した木材を一時集めておく山間の平地)があったようです。
県境尾根は、太尾塞跡から北北東へ延びり尾根で、名前の通り大阪府と奈良県の府県境が尾根に沿って通っています。



西尾根は、越口からの廃林道終点から太尾塞跡付近に続く支尾根です。かなり急勾配の尾根道で、踏み跡も薄く西側斜面が崩落を繰り返しているので、特に下りに利用するのは注意が必要だと思います。

県境尾根は、廃林道から太尾塞跡まで、水平移動距離で約600m、標高差で約300m強あります。登山をされている方は、お分かりになると思いますが、水平距離1km+登り標高差300mで約1時間はかかると言われています。県境尾根は、道幅も広く危険個所はありませんが、三大急登と言われる尾根道に匹敵する急峻な尾根道だと思います。

東尾根はまだ歩いたことがありませんが、地形図で見ると県境尾根より少し勾配がきついようです。



私が金剛山を登り始めた頃(9年前)は、廃林道から太尾塞跡へ登る道は、道標もなければ踏み跡もほとんどなかったと記憶しています。林業が盛んな山域ということもあり、一般の方が立ち入ることも少なかったと思われます。越口周辺は今も林業が盛んで、作業期間中は切り出しや貯木作業が行われます。県境尾根でも作業が行われる可能性がありますので、迷惑にならないように注意しましょう。また、登山道以外には立ち入らず、法面、斜面を傷つけないように歩く(走らない)ようにして下さい。

