軍神の城と赤坂古道(金剛山)
日本史上最大の軍事的天才と評価され、「三徳兼備」「多聞天王の化生」「日本開闢以来の名将」と称されてきた楠木正成。その正成が赤坂城の戦い、千早城の戦いで戦いの拠点とした金剛山山麓の山城。その中で、本城とされる上赤坂城から赤坂古道のひとつ坊領ルート(桐山・二河原辺道)を歩いて金剛山山頂を目指しました。
一の木戸から切通しの山道が続きます。四の木戸まで木戸を配置して、切通しの道で侵入してきた敵軍を上から迎撃したと思われます。途中に深い堀切があったり、橋(そろばん橋)がかけられたりと色々工夫がされていたようです。
元弘2年(1332年)の楠木正成再挙兵後、新たに築かれた城が上赤坂城です。元弘3年/正慶2年2月22日(1333年3月8日)に発生した上赤坂城の戦いでは、平野将監入道と楠木正季(楠木正成の弟)が、鎌倉幕府の阿蘇治時・長崎高貞・結城親光らと戦い、閏2月1日(3月17日)に上赤坂城は落城したものの、千早城で発生した千早城の戦いと合わせて、元弘の乱での後醍醐天皇勝利に大きく貢献したとされています。周辺の金剛山の尾根上には、猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していました。「上赤阪城」と書くこともあり、楠木城、小根田城、桐山城とも呼ばれる楠木七城の一つです。「楠木城跡(上赤阪城跡)」として国の史跡にも指定されています。
上赤坂城址から塞跡を踏みながら進むと「猫路山城跡」があります。金剛山山麓にある城跡のひとつです。この場所で、金剛山山頂へ向かう道と足谷林道へ下る道に分岐していますが、やや不明瞭です。地図を確認しながら歩くようにして下さい。
元々林業用の作業道など枝道が多いルートです。それに加え、藪や倒木で一部道が不明瞭になっています。数年前から地元の方々などが道の整備を行われ、道標も数多く設置されています。それでも迷いやすい道なので、特に下山時は注意が必要です。
ルート全体ほぼ植林地の中を歩きます。開けた尾根道ではなく、山腹をトラバースする道が大半で、正直見所もなく単調な道です。数か所崩落や倒木もありますが、道自体は大きな危険個所はありません。尚、鉄塔は自分の位置確認に有益なので役立てて下さい。
千早城、楠木城(上赤坂城)、赤坂城(下赤坂城)を中核として、二河原辺城、本宮城、しょうぶ城、枡形城、猫路山城、坊領山城が配置された山城群を「赤坂城塞群」と呼んでいます。坊領山城は、国見山城が正式名ということですが、坊領山にあることから坊領山城とも言われています。坊領千軒跡は、坊領山とその直下の平坦地に道標がありました。
坊領山から青崩道出合いまでの道も植林地の中を通っています。道はよく整備されていますが、アップダウンを繰り返し疲れてきた足にこたえます。この区間にも足谷林道や清井山へ分岐する枝道があるので注意して下さい。
青崩道と合流すると歩き慣れた道で山頂を目指しますが、長距離を歩いてきた足には、セトから山頂までがとても長く感じられます。
上赤坂城址を少し探索して山頂までちょうど3時間。金剛山の登山ルートの中では最長とも言われるルートは、やはり疲れました。これから水分道を下ると思うとゾッとしましたが、山頂広場でビールでのどを潤し、巻き寿司とから揚げでカロリー補給して一息入れました。