赤坂町石道を辿る(金剛山)
この日は、楠木正成の赤坂城塞群の主城であったとされる上赤坂城址を訪問したく、坊領ルート(坊領・二河原邊道)を辿って山頂まで歩きました。上赤坂城址の駐車場に駐車していたので、下山は近年新しく町石が設置された水分道(二河原邊・水分道)を歩いて下山することにしました。二河原邊、水分、森屋から金剛山を目指す道は、数通りあります。赤坂城塞群をつなぐ切通しタイプの彫られた道もよく見られます。また、建水分神社参道入口に江戸初期の「金剛山道標(六拾六町)」が あり、山頂まで一町毎に町石が建てられ、町石道になっていたそうです。道路開発や企業誘致などで当時の道は寸断されてしまいましたが、近年、地域住民と村外の山の 愛好家がが中心となって結成された「金剛山千早赤阪倶楽部」が町石(五町置き)を新たに建立したそうです。この水分道(二河原邊・水分道)は、登りで歩いた坊領ルート(二河原邊・桐山道)とともに金剛山赤坂古道として紹介されています。
山頂側からは、国見城跡広場、売店裏、転法輪寺から大日岳へ向かう道途中から、セトに向かう道を辿ります。最近、「赤坂町石道」と記された道標が木にかけられています。水分道との分岐(出合)までは、青崩道を歩きます。
青崩道に入って少し歩くと大きな岩がある場所に「頂上迄 五町」と記された石柱が建っています。ちなみに一町は、メートル換算すると109.09mとなります。新しく設置された町石は、五町置きに設置されているので、一区間約545mになります。
「出合」から水分道(泣石谷道)に入り二河原邊を目指します。水分道も坊領ルート同様、泣石谷、小峠谷、赤坂尾根、下峠谷、足谷などへの枝道が多く、林業も盛んなので作業道や関電道も少なくありません。道は明瞭ですが、迷わないように注意して下さい。
泣石谷や池ノ谷へ通じる道は、尾根道で踏み跡もしっかりしています。奥赤坂山から下峠谷の鉄砲滝付近に通じている尾根道も大きな危険個所はありません。但し、谷に下りてしまうと倒木などで荒れてしまった谷で遡行が困難な場合があります。下峠谷、小峠谷は、遡行可能な谷ですが、危険も伴いますので迷いこまないように注意して下さい。
足谷林道終点の日暮周辺の山域は、林業が盛んで過去にもトラブルが発生していますので、許可なく通行することは控えて下さい。
今回は、二河原邊橋から駐車地の上赤坂城址駐車場に戻りました。残る町石としては、建水分神社参道入口の「金剛山道標(六拾六町)」と途中にある五拾九町になります。