我がSATOYAMA
今年は、春から大阪府山岳連盟の講習会参加、真夏の猛暑、天候不順などが重なり、例年に比べ行きたい山に登れていない。9月下旬には、トレーニング(ジョギング)でオーバーワーク(左足脹脛炎症)、遠出はしばらく断念せざるを得ず、リハビリも兼ねて里山歩きに出かけてきました。
河内飯盛山は、今の居住地に移り住んで59年見続けている里山です。大阪府の生駒山地にある山で大東市と四条畷市にまたがっています。山頂部は大東市に位置し、標高は314.3mです。山頂一帯には三好長慶の居城であった飯盛城跡があり、現在でもその曲輪跡や石垣が多く残っています。また、楠木正行と高師直が戦った四條畷の戦いの古戦場としても有名で、山頂には楠木正行の銅像が建てられています。
山腹には、アケボノシュスラン(曙繻子蘭)の群生地があり、昔から地元の人々にとってこの時期の楽しみのひとつです。
河内飯盛山は古くから地元の人の憩いの山となっています。毎日日課のように登られる方、休日には老若男女問わず多くのハイカーで賑います。桜の広場(飯盛城址の本丸跡)には休憩スペースがあり、どんぐりアートが置かれています。どんぐりアートは、登山道の木々に隠れるように置かれているものもあります。自然の中に人工物を設置するのは好きではありませんが、人との関わりが古くからある里山では、景観を壊すようなものでなければ、むしろ微笑ましい光景に見えます。
アケボノシュスラン(曙繻子蘭、学名:Goodyera foliosa var. laevis )が咲く群生地を見つけたのは、今から6~7年前でした。年に数回しか歩かなかった里山でしたが、陽があまり差し込まない湿気の多い場所に大規模な群生地がありました。見つけた時は、花の名前もわからず自宅に戻ってから急いでNetで調べた記憶があります。
堂山古墳群は、大阪府の生駒山地北側に連なる飯盛山系と河内湾に挟まれた扇状地には、南北に細長い平地ながら後期旧石器時代から人が住み始め、弥生時代には集落規模も拡大し、生産活動や祭祀が行われていました。堂山古墳群はその飯盛山地の西方の尾根に築造された、8基からなる古墳群です。(大東市HPより)正月元旦の朝、金のにわとりがなく、との言い伝えもあるそうです。
相場の神様・金運アップ・宝くじ当選祈願「寶塔神社(宝塔神社)」祭神は市杵島姫命(いつくしまひめのみこと)。野村グループ(・野村證券)の創始者である野村徳七や松井伊助といった大物相場師たちが密かに参拝したといわれる隠れたパワースポットとして知られています。