千早城址と千早道(金剛山)
金剛山でもっとも知名度があり、利用者の多い登山道が「千早本道(千早道)」です。二合目への登り「七曲り」まで舗装され、山頂までの道も整備(ほぼ階段)が行き届いてます。危険な場所もなく、老若男女、家族連れ、単独、トレラン…各々自分のスタイル、ペースで登られてます。ある意味面白みのない登山道ですが、道端には山野草も多く、自然林の紅葉など四季折々の楽しみが隠されています。また、千早城址、町石や墓標など歴史を感じることもできる金剛山を知る上で一度は歩いていただきたい道です。転法輪寺が今の葛木神社にあった頃、麓の村から転法輪寺までの町石道でもあったようです。
麓の地蔵堂にある第一番不動明王、登山口までにある第二番釈迦如来、葛木神社近くの第十三番虚空蔵菩薩、いたずらで損壊したと言われる第十二番大日如来を除くと千早本道の道端に置かれています。




楠木正成は、前衛として下赤阪城、本城として上赤阪城、詰め城として千早城と構成していたようです。また、金剛山の山麓にいくつもの要塞を築き戦いを優位に進めたと言われています。金剛山頂付近にその名を残す国見城址も要塞の一つだったようです。

千早城は、大和国五条と河内国富田林を結ぶ千早街道から金剛山から西に延びる尾根の先端に築かれた山城でした。周囲は、千早川の渓谷を利用し、四方の殆どを深いに谷に囲まれ、城の背後のみが金剛山の山頂に通じる堅固な山城でした。楠木正成は金剛山一帯に点々と要塞を築き、その総指揮所として千早城を活用し、下赤坂城、上赤坂城、千早城の3城で鎌倉幕府軍と対峙したそうです。
千早城址から千早本道へは、裏参道を下るか、千早神社から二合目に通じている道を歩きます。


千早本道(千早道)は、そのほとんどの行程が階段道です。金剛山二剛会が定期的に補修をしています。階段用の木材を登山者の方に運んでいただく依頼も行われていますので、体力のある方はお手伝いお願いいたします。
五合目は、昔のろし台として使われていた場所だと言われています。司令塔の役割をしていた千早城からの指令を発する場所だったのかもしれません。また、この場所には、一本木茶屋(売店)がありましたが、もうだいぶ前に閉店され建屋も撤去されています。


千早本道には、地形図にも記載がある枝道がいくつかあります。但し、妙見谷側に派生する道の大半は、廃道化していて崩落など危険な個所が多くあります。ツツジ尾谷への派生道など現在も使われている道以外に入り込まないようにして下さい。

千早本道の紅葉は、主に妙見谷側の自然林がメインです。八合目から妙見谷側を歩く自衛隊道はこの時期とても綺麗です。






蛇足ですが、東條山へ向かう途中、ちはや園地手前で大規模な工事が行われていました。治山事業で谷への崩落を阻止するための法面補修のようです。その斜面は、イワゴノ谷へ続く斜面のようです。難路で有名なイワゴノ谷ですが、遡行される方は注意して下さい。
